捏造



先日、読売新聞の渡邊主筆が橋下大阪市市長のことをヒトラーに例えていたのを聞いた時、正直 「お前が橋下のことを言えた義理か!」 と怒りを覚えたのだが、ここにきてあながち彼の指摘が外れていなかったことに、少々戸惑いを覚えるようになった。

維新のリスト捏造問題である。

以前は橋下市長が個人的な恨みで労組を叩いているなあ、とは思っても、でも労組もたいがいなことをやってきたみたいだから多少痛い目見たらいいんじゃないか、ぐらいに思っていた。しかし、先日維新の会の一員である市議のツイッターにたまたま目を通したことをきっかけに、報道されている情報を整理してみると、かなり恐ろしいことが起こっているのではないかと思うようになった。

事件の概要はこうだ。

2月上旬、インサイダー情報を元に大阪市議の杉村市議が、労組が大阪市の機密情報を盗み前市長の支援を求める 「知人・友人紹介カード配布回収リスト」 を作っていたとして、情報を実名入りでマスコミに公開。橋下市長を筆頭に、党・マスコミをあげての大批判キャンペーンが始まる。労組は情報は捏造であると主張するも、この問題を市議会で取り上げた杉村市議は、情報の信憑性が高いとして労組のクレームを一蹴。これを受けて3月、労組は捏造文書について被疑者不明のまま有印公文書偽造で刑事告発。一方維新の会は「労組への情報漏洩」について守秘義務違反で刑事告発するという異常な事態を迎える。

ところが、事件は意外な展開を見せる。3月26日、セキュリティ会社の調査で情報漏洩者が特定される。取調べの結果、この嘱託社員はリストを捏造して杉村市議に渡した事を認め、27日に懲戒免職処分となる。この結果を受け、労組は維新の会に謝罪を求めるが、杉村市議・橋下市長ともにこれを拒否。労組側は維新の会市議団に対し、質問状を送ることをことを決めたが、その後、名誉毀損・偽計業務妨害などで提訴されるのではと見られている (詳細な経緯については、維新リスト捏造問題の経緯と雑感 を御覧になることをお勧めする)。

ここにきてクローズアップされたのは、他の維新の会のメンバーの言動である。ある維新の会の議員が自らのツイッターに、維新の会では議会での追求前から捏造の可能性があることを認識していたという書き込みをし、あわてて他の維新の会のメンバーが取り消すよう指示するやり取りが公にされた。また、リストを捏造した嘱託社員が2月8日の段階で、「偽物をつかませてしまったかもしれず、申し訳ないことをした」 と杉村市議にメールを送っていたことも報告されている。

要は、杉村市議と橋下市長・維新の会は、捏造の可能性が高いと知りながら、その資料を使って労組の批判のキャンペーンをはっていたということである。

これは法律的にも、同義的にもゆゆしき問題である。

労組が何らかの違法行為をしていたというなら、それを叩くのは構わないし、むしろそのことは支持したいと思う。しかし、そのために捏造された情報を使って世論を操作するというのは本当に恐ろしいことだ。先日NHKのクローズアップ現在で、ロシアのプーチン首相が政敵をでっちあげた罪で投獄したり駆逐していくやり方をレポートしていたが、程度の差こそあれ、いま維新の会がやっていることと変わらない。

更に恐ろしいのは、この件に関して維新の会がマスコミを抱き込んでいるということである。労組を社会的に抹殺してしまおう、という明確な意思のようなものさえ感じてしまう。このようにメディアが中立性を保たず、何かの力におもねって報道を偏向してしまうようでは、お隣の国となんら変わらないではないか。

個人的な予想を言うと、この捏造の件は必ずうやむやにされる。そして、維新の会がノラリクラリかわしているうちに、野村弁護士率いる第三者委員会の調査が公表され、労組のいくつかの別の問題が指摘されることになり、「やっぱり僕の言ったとおりでしょう」 と橋下市長がドヤ顔でメディアに話す顔が目に浮かぶ。たとえこの捏造の件で何年か先に労組が訴訟に勝ったとしても、もう当事者は大阪にはおらず、その責任は問われることなく終わるだろう。

一人の有権者として、市長や議員に市政を変えてほしいという思いはある。しかし、そのことは犯罪行為に及んでも構わないということではない、ということだけは、はっきり言っておきたい。

JUGEMテーマ:日記・一般
 

田中好子さん逝く

 

 昨夜、田中好子さんが亡くなられたと聞いた。キャンディーズ時代からすごく憧れていた人だったので本当に残念でならない。キャンディーズが解散してからも女優として本当にいい仕事をされていたし、テレビやスクリーンでいつ見ても魅力的な方だった。乳がんだったそうな。心からご冥福お祈りしたい。

The Year of the Rabbit


ここ数週間、中東の情勢が大変なことになっている。チュニジアに始まった争乱が、いつのまにかエジプトやバーレーン、リビアにも飛び火して、大きなムーブメントになりだした。今日入ったニュースだと、カダフィが反政府分子を爆撃するように命じたという話が伝わってきて、これからまた多くの血が流されるのかと思うと心が穏やかでない。

近くの大学にきている留学生の友達にもエジプトやリビアから来ている連中がいて、彼らの気持ちを思うとほんと心が痛む。報道されているデモで行進する人や傷ついたり死んだりしている人は彼らの身内であり、友達である。遠い東洋の国でわずかに入ってくる情報をたよりに、固唾を飲んで状況を見守っているだろう。

今日、ここで紹介する話はいまの情勢とは何の関わりもないが、友達のエジプト人留学生の話だ。彼はここの大学の医学部にきていて、ちょうど1月程前、たまたま近くのコーナンでバッタリ行き会った。ここしばらくジムで見かけていなかったので、「調子どう?」などとお互いのことを聞いたりなどした。

彼は店に息子さんを連れてきていて、聞いてみると息子さんの誕生日のプレゼントを選びにきたのだと言う。小学生になった子供さんにペットを飼って、毎日世話をしたり楽しい時間を過ごさせてやりたいとのこと。ペット選びに手を貸してくないかと言われたので、一緒にペットコーナにお伴した。

何か目当てのものがあるのかと聞くと、犬を買おうかと考えているとのことだったが、「でも、ひとつ問題があるんだよ」と言う。どうしたんだと聞くと、春にエジプトに戻る予定で、おそらく一緒に連れて帰ることができないと思う、ということだった。「それじゃ、大抵のものはダメじゃん」と僕が言うと、「そうなんだ」と少し悲しそうな顔をした。「でも、息子にペットを買ってやると約束したんでなあ。。。」

じゃあ、魚か亀でも買って、エジプトに帰る際には学校に寄付でもしたらどうだと言うと、それもあまり乗り気でなさそうだった。う〜ん、難しい。。。

そのまましばらく店内をうろうろしていると、

「ちょっと」

と声をかけられた。振り向くと、彼はあるカゴを指差している。

「こいつは何でこんなに大きいんだ?」

見ると、中にはウサギが入っている。お世辞にもあまりかわいいとは言えない容貌で、運動があまりできていないせいか、かなりのメタボである。おそらく買い手がつかないままに大人になってしまったのだろう。

そのことを彼に伝えると、「これにしようかな」と言う。ああ、やっぱり帰国の際に学校にペットを寄付するという僕の提案を採るつもりなのかと聞くと、違うと言う。

「これなら食べていけるからね」

。。。確かに。

中東やヨーロッパは結構ウサギを食べるんだったよね。

でも、大事にしていたペットをある日食べてしまうというのは、息子さんにとってショックにならないか? と聞くと

「じゃ、息子を呼んで聞いてみよう」

と、少し離れたところで犬と遊んでいた息子さんを呼んだ。このウサギはどうだと聞くと、彼は一言。

「う〜ん。かわいくないけど、美味しいかも」

さて、このウサギの運命やいかに。

Nkosi sikelel' iAfrika



最近全く暇がなく、すっかりご無沙汰していまっていますが、今日はどうしても書いておきたいことがあったので、無理やり時間を作ってPCに向かうことにしました。

その日は山口に出かけていて、ホテルの一室で寂しくすごしていたのですが、テレビをつけたまま次の日の準備などをしていました。その日はちょうどFIFAワールドカップの開会式をやっていて、セレモニーにスカラベ(フンころがし)が出てきてサッカーボールをころがしたりしていて、何とも微笑ましい感じでした。

開会式が終わると、ホスト国の南アフリカとメキシコの試合があったのですが、試合前、あの大観衆の前で南アフリカの国歌が斉唱され始めると、「まさか!」という思いが身体を駆け巡り、思わず目頭が熱くなりました。

南アフリカはもちろん足を運んだこともなく、知り合いさえいない国ですが、この曲だけは忘れもしません。リチャード・アッテンボロー監督の作品『Cry Freedom(邦題:遠い夜明け)』で使われていた、「Nkosi sikelel' iAfrika(神よ、アフリカに祝福を)」という曲です。

まさかあの曲が南アフリカの国歌になっているとは。。。



調べてみると、この歌は元々賛美歌だったそうで、アパルトヘイトに対抗し組織されたANC(アフリカ民族会議)が黒人開放運動の象徴として使ったことから、アフリカ全土で歌われるようになり、現在は南アフリカ以外にザンビア・タンザニアでも国歌として採用されているそうです。劇中でも繰り返し使われていましたが、最後に主人公が飛行機で南アフリカを脱出する時に使われていたのが印象的でした。

映画はスティーブ・ビコという黒人開放運動のリーダーと新聞の編集長であったドナルド・ウッズの交友を中心に話が進むのですが、その当時は南アフリカを脱出したドナルド・ウッズがその後どうなったかを知る術がありませんでした。いま調べてみると、01年に亡くなられたそうです。ですが、94年には南アフリカに帰国を許され、彼の遺骨は彼の愛した祖国に埋められたそうです。

きっと彼は今回のワールドカップを、雲の上からビコや多くの友人に囲まれて見ているでしょう。この曲を口ずさみながら。

Nkosi SikeleliAfrika アフリカに神の祝福あれ
Maluphakanyiswu phondo lwayo その名声と尊敬の高まらんことを
Yizwa imithandazo yethu われらの強い願いを聞きとどけたまえ
Nkosi sikelela Thina lu sapholwayo われらとわれらの子孫に神の祝福あれ

ああ、青龍よ



昨日から大きく報道されているように、朝青龍が暴行事件の責任を取って引退した。引退したとは言っても、彼が引退を発表するまでに横綱審議委員会の方で引退勧告をまとめていたということなので、実際は解雇だ。ただ、これまでの相撲界への貢献を考えて自ら身を引くチャンスを与えられたのだろう。

朝青龍にとっても退職金まで没収されてはかなわないから、そそくさと引退を発表。涙ぐんだ姿がテレビを飾ったが、最後まで自分の行いを悔いる弁はなかった。「 辞めてすっきりした 」 という言葉が全てを語っている。

強さという点で言えば、比類なき力を持った力士であったことは間違いない。大関陣がなさけなかったとはいえ、並みの横綱では25回の優勝を積み上げられるものではない。力量抜群。問題を起こさず精進していれば、大鵬の記録さえ凌ぐ事ができたろう。

大いに憎まれ大いに愛され、奔放な力士だった。それを評価する向きもいるし、僕自身も否定もしない。ただ、今になって一番心を痛めるのは、これからの朝青龍がどうなるかだ。

今後もし朝青龍が生き方を改めなければ、2つのことが起こる可能性があるように思う。

まず傷害事件。前から暴行などの噂は絶えなかったが、相撲部屋という密室が彼の隠れ蓑となってきた。しかしそれがなくなったいま、自分が抑えられなくなって事件を起こせば、それは普通に刑事事件として裁かれる。自分で事件を隠そうと相手を脅したりすれば瞬く間に実刑だ。晩年を刑務所で過ごす朝青龍など忍びない。

もう1つは、いつか大怪我をしたり殺されたりするのではないかという心配だ。今回の引退報道を聞いた後、真っ先に思い出されたのが力道山の末路だった。朝青龍がクラブの洗面所で刺され死んでいた、など聞きたくもない。

あくまで個人的な意見だが、朝青龍は日本でタレントや格闘家への転進を図るのではなく、モンゴルで政治家になる夢を目指した方が幸せになるのではないかと思う。

次に聞く朝青龍のニュースが、悲しい知らせでないことを心から願うばかりだ。

理由なんてない



ほんの数時間前のこと。

駅前のミスタードーナツに行くことにしたのだが、雨が降っていたので、大きな紳士傘を持っていった。駅に向かって歩いていると、逆方向、つまり駅からこちらに歩いてくる女性がいた。傘を持たずに雨に濡れている。

土砂降りではなかったものの、それなりに雨足は強かった。加えて気温が低かったので、ちょっとかわいそうな気がした。バックパックに予備の100円傘を入れていることを思い出した僕は、傘を取り出すと彼女に声をかけた。

「 よかったら、どうぞ 」

別に何の下心があったつもりではなかったが、少しぐらいは喜んでもらえるだろうと思っていた僕の予想は大きく外れた。

「 こんなことしてもらう理由がありません 」

彼女は大きな眼を見開いて、まるで睨み付けるかのように僕を見た。長い髪から水がしたたっているので、ちょっと怖い感じだった。

「 傘をくださるという理由は何ですか 」

あからさまに非難されているような口調に僕は困惑したが、ちょっと考えてこう言った。

「 理由なんて特にありませんけど 」

そう聞くと彼女は黙ってしまった。あまりいい雰囲気ではなかったので、僕はこう続けた。

「 別に押し付けるつもりもないので、必要ないならそう言ってください 」

彼女はほんのちょっと考えていたが、傘を受け取った。

「 ありがとう 」

彼女はそう言ったが、いかにも他人に感謝の言葉を言わなければならないことが苦痛そうだった。その後、下を向いたまま歩き去った。

いつの頃から人のちょっとした好意がそれを受け取る人の重荷になってしまったのだろう。人に何かをしてあげる人が少なくなっているのも事実だが、素直に好意を受け取れる人も少なくなっている気がする。人の心が病んでいるのだろうか。それとも社会が病んでいるのだろうか。

単に、ゴツくていかついおっさんに話しかけられたので警戒した、というだけだといいのだけど。

不審火



先週、家のキッチンに工事が入ったので、夜は母親と外に食べに出た。2人で外食するのは久しぶりだったが、駅の近くのパスタ屋でうだうだ言いながら食事を楽しんだ。

8時からNHKの 『 坂の上の雲 』 が見たいと母が言うので、7時45分には店を出て家路についた。駅から家までは700メートルぐらいで、母のペースで歩くとちょうど10分ぐらいである。

家から300メートルぐらいの中学校横の階段を母の手を引いて上っていると、消防車のサイレンが聞こえてきた。どこかで火事やな、と僕が言うと、母がこう言った。

「 こっち来てるんとちゃう? 」

階段の上からは、消防署のある南向きの幹線道路が見下ろせるようになっているのだが、そう言われてみると、消防車の赤いフラッシュがグングンこちらに向かって近づいてきている感じがした。

「 誰か知ってる人のところやないとええんやけど。。。 」

と言う母に

「 うちのキッチンから火が出てたりして 」

とからかうと、冗談でもそんな事を言うもんじゃないと、杖で頭を小突かれた。

口には出してみたものの、もちろんそんなことがあるはずがない、と二人とも高をくくっていたのだが、消防車が交差点をこちらに曲がった時には、母の顔は笑っていなかった。まるで僕たちを追いかけてきたかのように2台の消防車はやってきて、猛スピードで僕たちを追い抜いていった。そして最悪なことに、その2台はうちの家の前で止まったのだ。

母を後に置いて、僕は走り出していた。

車からは消防士の人たちがバラバラと走り出してくる。その動きが妙にスローに思えてもどかしい。

近づくにつれ、少なくとも家は原型を留めていることはわかったし、大きく火の手があがっている様子もなかった。ただ、1人のお年寄りが道に出て消防隊員を誘導していたが、その先は僕の家ではなく隣の家だった。

結局、隣の家でガス漏れ騒ぎがあったという事だったのだが、最終的に消防車3台と救急車1台がやってきて、周囲は一時騒然となった。消防士がしばらく火を使わないようにと周囲の家に呼びかけたりしていたが、まあとりあえず自分のところでなくてホッとしたと言うのが本音。

ともかく大事にならなくてよかった。

迎春



明けましておめでとうございます。しばらくご無沙汰しておりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

新年を迎え、家族とともに楽しいひと時を過ごした方、また心新たに更なる飛躍を誓われて早速今日から動き出された方などさまざまだと思います。私は昨日施設から父親が帰ってきたので、久しぶりに家族で食事をする機会に恵まれました。年を取ったと言えばそれまでなのかもしれませんが、年々家族で過ごすことの大切さを大きく感じています。

昨日父を迎えにいったあと何がしたいか聞くと、外に行きたいというので散歩にでかけました。杖なしには歩くこともままならない父ですが、普段あまり外を歩く機会がないので、非常に喜んでくれました。

風が冷たかったせいか、涙が止まらないという父の顔からハンカチで涙を拭いてあげると、父が一言

「ありがとう」

そのまま父の手を引いて、随分長い間2人で公園を散歩しました。あと何回こういう機会があるかわかりませんが、その1回1回を心に焼き付けておこうと思います。

みなさまがすばらしい一年をお過ごしになることを心からお祈りしています。

PIO病、Quicktime での再生で音が飛ぶなどの問題



使っていたデスクトップPCが壊れてから、中古のPCを買っていろいろと手を加えていたんですが、スペックを上げると共にいくつかのパーツも加えました。たとえばDVDドライブを2つにして、1つはリージョン1専用、もう1つをリージョン2専用にしたり、ハードの構成をRAIDにしたりと、いままでしたかったけどしてこなかった仕様変更を加えました。

ほとんどの変更は問題なくできたのですが、1番困ったのはDVDの再生時に映像や音が飛ぶという現象でした。実は以前から同じ現象が認められたのですが、オンボードのビデオカードのスペック不足だろうと放置していていました。しかし、今回ビデオカードを増設した後にも状態が改善されなかったので、今回色々調べて手を打つことにしました。その際の覚え書きとして、ブログにいくつか書いておこうと思います。

状態としては、DVD再生時に画像がカクカク動く場合があること、また音声の方ではいわゆるプチノイズが入るといった状態でした。

最初に気づいたのは転送モードの問題です。デバイスマネージャからコントローラのIDEチャネルの転送モードを見てみると、勝手にPIOに切り替わっていました。これをDMAモードに変える事ができなかったので、いわゆるPIO病といういうやつかな、と判断し、その手の対策を打ってみました。

要はドライバの削除やアップデート、マスター/スレーブの入れ替え、ドライブの交換といったことを延々とやってみたわけですが、結局どれも効果がなくお手上げの状態でした。ところが、ふと思うところがあって、DVDとマザーボードをつないでいたIDEケーブルを以前使っていたPCのものと交換しました。するとあっという間にDVDが正常に再生できるようになりました。

ケーブルには40芯ではなくちゃんと指定された80芯のものを使っていたんですが、どこかに断線か接触不良があったようですね。ケーブルの不良を調べる手立てがあったら便利なんですけどね ( もしどなたかご存知でしたらお教えください )。

ただ、それで完全に問題が解決したわけではありません。プチノイズについては状態が完全には改善されませんでした。しかし、自分としては考えうる手はほぼうちつくしたので途方にくれていたのですが、ネットで読んだある記事にフェライトコアという製品でノイズ電流を押さえることができると書かれているのを読み、試しで購入してみることにしました。

これがすごく効きました。電源を大きな容量のものに変えたので、そういう影響もあるのかなあ、とは思っていたのですが、やっぱりこういうところに出てきていたんですね。あと、自分はエンジェルショップさんというところからフェライトコアを購入したのですが、すごく対応がよくて助かりました ( ありがとうございました )。

さて、最後に残ったのは Quicktime の問題でした。DVD再生の問題がなくなってから、いくつかDVDをリッピングしてみたのですが、その再生に Quicktime を使うと、プチノイズが発生することがわかりました。しかし、この問題は Quicktime に限定されていたので、ネットで調べると解決策は意外と簡単に見つかりました。

問題は Quicktime と自分のPCの相性にあったようです。このような場合、コントロールパネルの Quicktime の設定から、オーディオの設定をセーフモードに切り替えるとようで、設定すると全くノイズがなくなりました。この設定による他への影響はいまのところ感じられません。まあ、取りあえずよし、といったところでしょうか。

自分はあんまりコンピュータのことは詳しくないので、いろいろ苦戦していますが、ちょっとずつ勉強していきたいと思います (汗)。

旅に出ます



ブログからとんとご無沙汰していましたが、先週1週間はずっと旅に出ていました。沖縄に向けて出発したのが月曜日、その後は岡山、土曜日には愛媛と長かったですね。ですが、今年度の遠征はこれがおそらく最後になる可能性があります。まだはっきりしたわけではありませんが。。。

長期の遠征とは言っても、じっとしているのが不得意な自分がホテルにおとなしくひきこもっているはずもなく、時間を見つけては街に繰り出していました。那覇では地元で有名な定食屋(噂に違わずすごい量でした)を荒らしに行ったり、岡山では以前のエントリーで書いた中華料理店にまたラーメンを食いに行ったりしてました。岡山の店では床の油で脚を滑らせて頭を強打、頭からの出血をティッシュで抑えながらの食事だったので、味がほとんどわからなかったというようなアクシデントもありましたが。。。

金曜の午前中は少し時間を取って、道後温泉と松山城に行ってきました。道後温泉も想像していたとおり良かったですけど、自分にとっては何より松山城が印象に残りました。大街道から少し歩いたところからロープウェイで山の上に上がるんですが、そこから城に登るのが以外に大変。城内も急角度の階段の連続で、お年寄りにはかなりきつい感じでした。でも、お城自体はすごく立派で天守閣からの眺めも素晴らしく、ほんと心が癒されました。来年はNHKの大河ドラマで 「 坂の上の雲 」 を放映するということなので、松山もちょっとしたブームになるのかもしれません。

徳島の 「 うぇるカメ 」 よりは人気でると思います(笑)。
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