Nkosi sikelel' iAfrika



最近全く暇がなく、すっかりご無沙汰していまっていますが、今日はどうしても書いておきたいことがあったので、無理やり時間を作ってPCに向かうことにしました。

その日は山口に出かけていて、ホテルの一室で寂しくすごしていたのですが、テレビをつけたまま次の日の準備などをしていました。その日はちょうどFIFAワールドカップの開会式をやっていて、セレモニーにスカラベ(フンころがし)が出てきてサッカーボールをころがしたりしていて、何とも微笑ましい感じでした。

開会式が終わると、ホスト国の南アフリカとメキシコの試合があったのですが、試合前、あの大観衆の前で南アフリカの国歌が斉唱され始めると、「まさか!」という思いが身体を駆け巡り、思わず目頭が熱くなりました。

南アフリカはもちろん足を運んだこともなく、知り合いさえいない国ですが、この曲だけは忘れもしません。リチャード・アッテンボロー監督の作品『Cry Freedom(邦題:遠い夜明け)』で使われていた、「Nkosi sikelel' iAfrika(神よ、アフリカに祝福を)」という曲です。

まさかあの曲が南アフリカの国歌になっているとは。。。



調べてみると、この歌は元々賛美歌だったそうで、アパルトヘイトに対抗し組織されたANC(アフリカ民族会議)が黒人開放運動の象徴として使ったことから、アフリカ全土で歌われるようになり、現在は南アフリカ以外にザンビア・タンザニアでも国歌として採用されているそうです。劇中でも繰り返し使われていましたが、最後に主人公が飛行機で南アフリカを脱出する時に使われていたのが印象的でした。

映画はスティーブ・ビコという黒人開放運動のリーダーと新聞の編集長であったドナルド・ウッズの交友を中心に話が進むのですが、その当時は南アフリカを脱出したドナルド・ウッズがその後どうなったかを知る術がありませんでした。いま調べてみると、01年に亡くなられたそうです。ですが、94年には南アフリカに帰国を許され、彼の遺骨は彼の愛した祖国に埋められたそうです。

きっと彼は今回のワールドカップを、雲の上からビコや多くの友人に囲まれて見ているでしょう。この曲を口ずさみながら。

Nkosi SikeleliAfrika アフリカに神の祝福あれ
Maluphakanyiswu phondo lwayo その名声と尊敬の高まらんことを
Yizwa imithandazo yethu われらの強い願いを聞きとどけたまえ
Nkosi sikelela Thina lu sapholwayo われらとわれらの子孫に神の祝福あれ

映画:The Bridge (邦題:ブリッジ)



映画 「 ブリッジ 」 をDVDで観たのはちょうど1ヶ月前のことだ。どんな映画かと聞かれても説明するのが難しいのだが、ただ1つはっきりしていることがある。この映画がケーブル以外のTVで放映されることはない。これから観る機会がある人は、そういう種類のものなのだと覚悟してもらった方がいい。

この映画はドキュメンタリーで、1年間通してサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを撮影している。しかし、ただ橋の景観をフィルムに収めていたのではない。そこから身を投げる人をひたすら撮り続けているのだ。

ゴールデンゲートブリッジは言わずと知れた観光名所だが、同時に自殺の名所でもある。この映画が撮影した2006年だけでも、わかっているだけで30人近い人が橋から身を投げた。水面までの高さが80メートル近くあるため、飛び込めば水面に達する時には時速130キロにもなり、ほとんどの人は助からない(事実、映画でも1人を除き全員が亡くなっている)。

自殺者のドキュメンタリーに台本などあるわけはないから、いったい誰が飛び込むのかわからない。オープニングで橋からかなり離れた波止に設置されたカメラは、下からのロングショットで右に左にそれらしい人物を追いかける。下を覗き込む人。物憂げに歩いている人。みょうに周りを気にしている人。いったいこの中の誰が? ... 観ているこちらも緊張を強いられる。

しかし映画の最初で飛び込んだ人は思いもしなかった人で、しかも欄干を乗り越えて飛び込むまで、ものの数秒しかかからなかった。

演技ではない。全てが現実である。にもかかわらず、カリフォルニアの青い空に聳え立つ赤いゴールデンゲートブリッジは、人が飛び込んだ数秒後にはまるで何もなかったかのように、その圧倒的な姿をスクリーンに映し出す。ブリッジは見ている僕たちに疑問を投げかける隙を与えてくれはしない。

映画はそこから、身を投げた人の周辺へのインタビューを展開する。家族・友人はもとより目撃者や自殺を止めた人まであらゆる人をカバーしていくのだが、彼らの証言のほとんどは、ありがちな死者を美化したような話ではなかった。「 そのうちやるだろうと思っていたよ 」 という親や、自分の妹のことを何も知らない姉、子供の死の責任は自分にはないと自己弁護に躍起になる父親。インタビューから垣間見える生前の自殺者の姿は、自殺の瞬間の映像より生々しく、観ているものの心を痛めつける。

後半は特に辛い。

よかれと思って自分の精神安定剤を与えたことが友人の自殺につながったと信じている女性は、彼女自身が自殺未遂をし、その後行方不明になった。

「ブラブラしてないで、仕事捜しぐらいしたらどうなの!」 それが友人にかけた最後の言葉だったと心を痛めている人もいた。

80分と短い映画なのだが、途中何度も、この映画監督が何のためにこの映画を撮ろうとしたのかわからなくなることがあった。

黒人の青年が言う。「 もしあの世で彼に会ったら言ってやる。『 お前は俺をひどく傷つけた、と 』」 

ある年配の女性は、友人の死を理解しようとこうつぶやく。「 きっと、ちょっとだけ空を飛んでみたかっただけなのよ 」

そうして観ている自分もようやく気付きだした。本当に心を痛めているのは、遠い家族ではなく死者の周りにいた人たちだということ。そして、いかなる理由があって自殺したにせよ、彼らは多くの人に愛され、気遣われていたということを。

死んだ人たちがその事に気がついていたとは思わない。しかし、彼らが愛されていたということが、スクリーンで彼らが死ぬ瞬間を目撃した僕にとって救いとなった。そのことは、とりもなおさず、自分自身も多くの友人に支えられて生きているということを思いおこさせてくれることにもなった。

いつかゴールデンゲートブリッジを再訪する時がきたら、そこで死んだ人たちにそのことを伝えてあげたいと思う。

ああ、青龍よ



昨日から大きく報道されているように、朝青龍が暴行事件の責任を取って引退した。引退したとは言っても、彼が引退を発表するまでに横綱審議委員会の方で引退勧告をまとめていたということなので、実際は解雇だ。ただ、これまでの相撲界への貢献を考えて自ら身を引くチャンスを与えられたのだろう。

朝青龍にとっても退職金まで没収されてはかなわないから、そそくさと引退を発表。涙ぐんだ姿がテレビを飾ったが、最後まで自分の行いを悔いる弁はなかった。「 辞めてすっきりした 」 という言葉が全てを語っている。

強さという点で言えば、比類なき力を持った力士であったことは間違いない。大関陣がなさけなかったとはいえ、並みの横綱では25回の優勝を積み上げられるものではない。力量抜群。問題を起こさず精進していれば、大鵬の記録さえ凌ぐ事ができたろう。

大いに憎まれ大いに愛され、奔放な力士だった。それを評価する向きもいるし、僕自身も否定もしない。ただ、今になって一番心を痛めるのは、これからの朝青龍がどうなるかだ。

今後もし朝青龍が生き方を改めなければ、2つのことが起こる可能性があるように思う。

まず傷害事件。前から暴行などの噂は絶えなかったが、相撲部屋という密室が彼の隠れ蓑となってきた。しかしそれがなくなったいま、自分が抑えられなくなって事件を起こせば、それは普通に刑事事件として裁かれる。自分で事件を隠そうと相手を脅したりすれば瞬く間に実刑だ。晩年を刑務所で過ごす朝青龍など忍びない。

もう1つは、いつか大怪我をしたり殺されたりするのではないかという心配だ。今回の引退報道を聞いた後、真っ先に思い出されたのが力道山の末路だった。朝青龍がクラブの洗面所で刺され死んでいた、など聞きたくもない。

あくまで個人的な意見だが、朝青龍は日本でタレントや格闘家への転進を図るのではなく、モンゴルで政治家になる夢を目指した方が幸せになるのではないかと思う。

次に聞く朝青龍のニュースが、悲しい知らせでないことを心から願うばかりだ。

理由なんてない



ほんの数時間前のこと。

駅前のミスタードーナツに行くことにしたのだが、雨が降っていたので、大きな紳士傘を持っていった。駅に向かって歩いていると、逆方向、つまり駅からこちらに歩いてくる女性がいた。傘を持たずに雨に濡れている。

土砂降りではなかったものの、それなりに雨足は強かった。加えて気温が低かったので、ちょっとかわいそうな気がした。バックパックに予備の100円傘を入れていることを思い出した僕は、傘を取り出すと彼女に声をかけた。

「 よかったら、どうぞ 」

別に何の下心があったつもりではなかったが、少しぐらいは喜んでもらえるだろうと思っていた僕の予想は大きく外れた。

「 こんなことしてもらう理由がありません 」

彼女は大きな眼を見開いて、まるで睨み付けるかのように僕を見た。長い髪から水がしたたっているので、ちょっと怖い感じだった。

「 傘をくださるという理由は何ですか 」

あからさまに非難されているような口調に僕は困惑したが、ちょっと考えてこう言った。

「 理由なんて特にありませんけど 」

そう聞くと彼女は黙ってしまった。あまりいい雰囲気ではなかったので、僕はこう続けた。

「 別に押し付けるつもりもないので、必要ないならそう言ってください 」

彼女はほんのちょっと考えていたが、傘を受け取った。

「 ありがとう 」

彼女はそう言ったが、いかにも他人に感謝の言葉を言わなければならないことが苦痛そうだった。その後、下を向いたまま歩き去った。

いつの頃から人のちょっとした好意がそれを受け取る人の重荷になってしまったのだろう。人に何かをしてあげる人が少なくなっているのも事実だが、素直に好意を受け取れる人も少なくなっている気がする。人の心が病んでいるのだろうか。それとも社会が病んでいるのだろうか。

単に、ゴツくていかついおっさんに話しかけられたので警戒した、というだけだといいのだけど。

不審火



先週、家のキッチンに工事が入ったので、夜は母親と外に食べに出た。2人で外食するのは久しぶりだったが、駅の近くのパスタ屋でうだうだ言いながら食事を楽しんだ。

8時からNHKの 『 坂の上の雲 』 が見たいと母が言うので、7時45分には店を出て家路についた。駅から家までは700メートルぐらいで、母のペースで歩くとちょうど10分ぐらいである。

家から300メートルぐらいの中学校横の階段を母の手を引いて上っていると、消防車のサイレンが聞こえてきた。どこかで火事やな、と僕が言うと、母がこう言った。

「 こっち来てるんとちゃう? 」

階段の上からは、消防署のある南向きの幹線道路が見下ろせるようになっているのだが、そう言われてみると、消防車の赤いフラッシュがグングンこちらに向かって近づいてきている感じがした。

「 誰か知ってる人のところやないとええんやけど。。。 」

と言う母に

「 うちのキッチンから火が出てたりして 」

とからかうと、冗談でもそんな事を言うもんじゃないと、杖で頭を小突かれた。

口には出してみたものの、もちろんそんなことがあるはずがない、と二人とも高をくくっていたのだが、消防車が交差点をこちらに曲がった時には、母の顔は笑っていなかった。まるで僕たちを追いかけてきたかのように2台の消防車はやってきて、猛スピードで僕たちを追い抜いていった。そして最悪なことに、その2台はうちの家の前で止まったのだ。

母を後に置いて、僕は走り出していた。

車からは消防士の人たちがバラバラと走り出してくる。その動きが妙にスローに思えてもどかしい。

近づくにつれ、少なくとも家は原型を留めていることはわかったし、大きく火の手があがっている様子もなかった。ただ、1人のお年寄りが道に出て消防隊員を誘導していたが、その先は僕の家ではなく隣の家だった。

結局、隣の家でガス漏れ騒ぎがあったという事だったのだが、最終的に消防車3台と救急車1台がやってきて、周囲は一時騒然となった。消防士がしばらく火を使わないようにと周囲の家に呼びかけたりしていたが、まあとりあえず自分のところでなくてホッとしたと言うのが本音。

ともかく大事にならなくてよかった。
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